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*-- レース婚式 --*
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![]() この夏訪れた、南インド、ケララ州コーチン。二日間という短い滞在で、 修道院で作られるテーブルクロスの美しさの秘密、刺繍を刺す修道女達との出逢いの旅をつづります。 この夏、 南インド、ケララ州 (アーユルベーダトリートメントで有名。そしてクリスチャンがとても多い)のコーチン(KochiともCochinとも、最近インドでは 英国統治時代の呼び名から 昔の呼び方にもどそうとする動きがあるため ふたつ の名前を どちらも表示するようです Bombay= Munbaiのように)を訪れました。 7月30日 深夜、2週間のイギリス滞在を終えてロンドンよりインドのデリー(Delhiデリー=Dhuliドウリー)にはいり、数時間後にコーチンに向かい7月 31日、8月1日 の2日間を過ごし2日の早朝、デリーへ戻るという私らしいあわただしい 旅です。(デリー、コーチン間は東京 上海くらいの距離)到着してみると赤道からそう遠くないのに思っていたよりずっと涼しいです。(台風シーズンのため 今は北より 涼しいと後で聞きました) 今回の目的は、いままでNew Delhiにてクリスチャンのシスター達から(修道女スタイルのインド人女性の姿も魅力的で・・)何度か買い求めていた美しい刺繍のテーブルクロスを実際に製作しているのを見ること。オーダーが出来るか確かめる事。そしてなにより、その美しさの秘密、その物語に触れたかったからです。 ![]() なぜそこまで惹かれるのかというと、インドの伝統的な刺繍はほとんどイスラム教徒の男性の仕事であるのに対し、village girlが刺していると聞いていたからです。 その少女達のこと。この文化・技術が変わらず伝承されるのかしら?彼女達は全員クリスチャンなのかしら? いくつかの疑問とあの清楚な美しさに惹かれて、わずか2日間の滞在でも足を運ばせたのです。 知人を通じて予約していましたホテルは海沿いに建ち、通された角部屋からの眺めは海とヤシの木だけのパノラマ、お部屋もビジネスホテルとは違い、リフレッシュできそう、でした。(New Delhiで2社とビジネスをしているのですが、そのうち1社は社長も奥様もコーチン出身で、その方のお世話でホテルをとりました。) ―修道院を訪ねて 修道院まではホテルから車で15分ほどの所にあり、女子校(1年生~10年生まで)とシスター達の宿舎、刺繍の作業場、もちろん教会もあります。2階にある作業場に案内されると、数人のシスターと20歳前の女の子が10人くらいいて、シスターは刺繍の柄をトレースしたり、少女達に指導していました。 インドらしいパンジャビスーツの 女の子達は、シャドウステッチのテーブルクロスやプチポワンのお花をちらしたサリーなどに楽しそうに、そして 突然あらわれた日本人が ジロジロ見ているので恥ずかしそうにしながらも、懸命に作業を続けていました。 プチポワンは特に精密さを要求される仕事ですが、女の子達は視力が特別良いのか、あの小さなひと針をきちっと刺しています。1平方センチメートルの面積にステッチを埋め尽くすのを見届けるにも、見る側の時間の余裕も根気も必要なほど。それにしても、バラの花 ひとつ 刺しおわるのに、どのくらい時間がかかるのでしょう? ここの仕事場は他のインドの刺繍工場の雰囲気とは全く違います。若い女性ばかりですし、建物も西洋の古い女子校のようで、そして 清潔な環境。イスラム式では床に座るのですが、ここは椅子に座っての作業。 年長のシスターの話によると、ヨーロッパ人シスターがこの教会に来る若い女性達の収入の糧としてキリスト教と共に伝えたそうです。私のおとずれた教会は比較的新しく1910年頃、建築されたものです。コーチンにはもっと古い教会もありますので、キリスト教やこの西洋の刺繍はそれ以前から伝わっているのかもしれません。 漁業と農業以外に産業のないこの土地で、この教会に付属する女子校を卒業後、毎年何人もの女の子が 半年から1年の刺繍トレーニング期間を終了した後は、仕事として収入を得ることができます。収入の半分は手元に、あとの半分は教会から銀行へ彼女達それぞれの名前で貯金され、お嫁入りの支度金にします。インドでは女性に持参金またはそれに換わる宝石がないと結婚できないと聞きます。つまり 彼女達はこの貯金がある程度になったところで ジュエリーを買い、身につけるのです。 それがなくては、正式なプロポーズを受けられないということです。ここの女子校はどんな宗教徒であっても入学できるということですので、彼女達はクリスチャンとはかぎらないこと。そんな興味深いお話を伺いながら、テーブルクロスを選び、 また明日訪ねることを約束して失礼しました。 ―Auctioneer Mr.Thomas ホテルに戻ると夕方の6時前だったのですが、私はもう 眠くて、眠くてそのまま眠り込んでしまいました。そんな私は突然、電話で起こされることになりました。「ダレ???」思いがけない電話から若くない男性の声。「わたしは、貴女のためにこのホテルに予約をいれるようにデリーのMr.Jacob に頼まれた者です。貴女にご挨拶しに妻とホテルを訪ねていいですか?」に「YES,PLEASE・・」と答えると、とても疲れていたせいか、また眠ってしまいました。 1時間後に、いらしゃったのが Thomas 夫妻でした。Thomas氏は紅茶のAuctioneer(オークションを運営するブローカー…毎年最高値の茶葉を おとすのは日本人女性ということでした)奥様は眼科のDoctorということです。 名刺をくださり「何かあったら連絡ください」と、そして「よろしければ明日、夕食にいらして下さい。一人のDinnerは 寂しいでしょう・・」と初対面なのに、やさしく誘ってくださいました。 2度ほどデリーでお会いしたことのあるMr.Jacobの長男とThomas夫妻のお嬢さんが、昨年結婚したことを聞き、私はすっかり安心しました。 ラウンジで30分くらいお話しして、部屋に戻ると私はまた眠ってしまいました。 たった2日間の旅。「明日はあの教会と別の教会とお店を少し見て、アーユルベーダマッサージを受けて」と、予定していたのに、目が覚めるとなんとお昼の12時過ぎ!!(17時間も眠っていたの?) 支度し、食事を済ませると午後2時も過ぎてしまいましたが、前日訪ねた教会に行き、それから大慌てで、ユダヤ教の教会シナゴークに行き、近くのアンティークショップをのぞくと、訪ねたかった最も古い教会へ行く時間はもう無くなってしまいました。 仕方なく、ホテルでThomas夫妻がいらっしゃるのを、ゆっくり待つことにしました。 改めてその名刺の 裏面を見ると「SOCIETY OF MULTIPLE HANDICAPS」「CHAIR MAN」と記されていて、そこにとても興味がありました。 偶然ですが、今回イギリスでの1週間の滞在は 識字障害のある子供にボランティアで 家庭教師をされている方でした。2週間目の滞在は2歳から数年を孤児院で過ごした方のお宅で過ごしたからでした。ともかくMR. Thomasが 「あらゆる障害をもった子供達の組織」の主事、主催者なのだといううことがわかり、今夜いろいろ尋ねてみようと 思いました。 その夜訪れた氏のご自宅は、お庭にコスモスのようなオレンジのお花がいっぱい。通路だけ残して両側 一面に咲く花々、こんなに華やかで シンプルなお庭は珍しい。家の中はインドの上流家庭らしいウエスタンスタイル。そして 海沿いのお家ならではのコロニアルな雰囲気もあり、ビクトリア調の花柄のソファがそう思わせたのかもしれません。 氏は15年ほど前に地元の有志5人くらいで 出資し、 障害児学校を設立されました。当時はまだまだ 無料の障害児の学校はとても少なく、コーチン内には 1校も無かったので、この地域の 貧しい障害児達は家のなかで過ごすだけで教育を受ける事ができなかったそうです。10人くらいの生徒で始まったその学校も今では100人近い 生徒を集めるまでになり、国からの補助はわずかのため、設立者達の内外の友人からの寄付で成り立っているということでした。 そんな素晴らしいもう一つの仕事もされている TEA のTASTINGとAUCTIONを主催される会社社長のMR. Thomasから帰りがけにニルギリ紅茶をいただきました。 お家の2階のひろーいバルコニーからは 海がすぐそこに見え ヤシの葉がバルコニーの内側までかかり もう一方からは 大きな木の枝が南国らしく深い緑の葉と黄色い大きな花をたっぷりとつけ、どちらにも手がとどきます。思わず「なんてリッチな暮らしでしょう」と 。 東京の私の暮らしは 「ただ お金のかかる暮らし・・」 そんなこと わかっていたことですが、あのバルコニーがあまりに素敵だったので。 翌朝早くにデリーへ向かう機中、修道院でみた女性達の刺繍があんなに美しいのは、仲間とおしゃべりしながら、お嫁に行く日を楽しみに夢をいっぱいつめて、そして 素直な神への祈りと・・、世の中を知ることより夢をずっとずっと大切に、楽しく一針を刺しているからではないかと・・・。 実際、結婚後も仕事をつづけている女性は希だそうである。サーバントやメイドをおけない彼女達は家事に忙しいからです。一生の糧として、ビーズ刺繍をつづける熟練したイスラムの男達の技とは比べられない別の美しさがそこにはやどるのでしょう。 ![]() 米澤 美也子 2001.8.14 #
by reve-de-miyaco
| 2001-08-14 16:10
| エッセイ&お気に入り
![]() 京都境町・分銅屋 モルガンおゆき邸での展示会の準備に追われているさなかのことです。そこは境町の小さな通りに面した江戸時代のなごりさえ感じる静かなたたずまい。いまの小売店とは全く違う風情がただよっていました。分銅屋というクラシックな屋号の小さなお店です。 奥には職人さんらしき方がひとり、もくもくとミシンを踏み、お店の木の戸棚には各サイズ別に鉄製の足袋の型がものものしくも、ほのぼのと積まれているのです。いわゆる活気のある、いまの華やかなお店のイメージはありません。さらに奥に目をやると「足袋仕立てコンクール金賞」の古い表彰状が目にとまりました。どこまでも静かに、世間に惑わされない姿勢。時代の流れがそこだけ止まっていたような懐かしさ。お店の品格を感じました。 そんなお店で、この足袋と出逢ったのです。一見するとわかりませんが、普通の足袋とは違います。「足袋ヒール」を入れて履き、足をすっぽりと、きっちりと包むための足袋。背を高く見せる上げ底ヒールを入れて履いても、たぶん誰にも気がつかれないという優れものなのです。 ![]() そんな奥ゆかしいマニアックな足袋が足の大きさに合わせて各サイズ揃っているのも、驚きでした。これは珍しい逸品で目に留まったものですが、他にも小紋柄の足袋などもきちんと仕立てられて並んでいる足袋の専門店なのです。お店の方に訪ねると戦前から、足袋ヒールは作られていたそうです。オーダーが出来るので歌舞伎役者さんをはじめ、全国にごひいきさんがいらっしゃるのでしょうね。仕立てコンクールで賞をとられた腕は確かで、とても丁寧なつくりです。足袋づくりに誇りをもっている職人さんの姿に、京都の文化の奥の深さの断片を見た思いです。 #
by reve-de-miyaco
| 2001-07-01 16:19
| エッセイ&お気に入り
![]() おばあちゃんの知恵袋? お店のテーブルを作るために、古いミシンを友人宅へもらいに行ったところ引き出しから出てきた物に、しばらく目を奪われてしまいました。表に「お縫いもの針」と書かれた、紙で作られたケースを見つけたからです。中を開けると、「大くけ」「細ぬい」「もめんえりじめ」と書かれた数種の針がセットされ、裏面にはNEEDLE SETとあり保険会社の名前が印刷されていたのです。 お母さんの手作りの洋服が当たり前だった時代、昭和20年代~30年代頃に保険会社がお客様に喜ばれるものとして「お縫いもの針」を配ったのでしょう。中の針のパッケージもとってもレトロで素敵なのです。各家庭でつくろいものやシミ抜きなど、主婦が何でもしていた時代のほのぼのとした雰囲気と手作り生活の様子まで伝わってきました。 表紙には「しみ抜き表」が付いているものがありました。しみの原因となる種類も「砂糖菓子」など時代を感じさせるもので、おばあちゃんの知恵袋的な情報がとても気に入りましたので、こちらで皆さんに公開することにいたしました ![]() #
by reve-de-miyaco
| 2001-06-01 16:17
| エッセイ&お気に入り
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